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寄贈ということ

図書館に勤め始めてから半年が経過しました。その間、様々な人が様々な本を寄贈されました(あたし自身も含めて)。寄贈されるパターンはいくつかあります。

  • 引越し等で不要な本が出た
  • 読んでしまったが保管場所がなく、捨てるにしのびない
  • 自分が読んで面白かったので、図書館で多くの人に読んでほしい
  • 各種団体の広報
  • 個人の自費出版

パターンにあげた最初の二つの場合、すでに蔵書にあったり、内容が古い、本そのものの汚れなどで受け入れができないなどの場合、図書館側で処分します、という説明をして受け付けています。かなりの冊数が結局、リサイクルという形で処分されますが、寄贈される方が、それは困る、ということは、まずありません。後半の二つはほとんど郵送で送られてくるので、これは内容によって受け入れするかしないかを判断しますが、送り主に断りをする必要がないので気は楽です。もっともリサイクルに出すには、しっかり紐で括り、指定の場所に運ぶ必要があるので、肉体的には楽、とはいえないかも。

問題は3番目。めったにありませんが、図書館のハードユーザーの場合が多く、断ると、理由をしつこく聞かれるなど、正直、対応に困ります。

あたしが経験した中では、政治的に特定の方向性を支持している方が、その方向性に合った本をリクエストで購入している上、自分で買った本も受け入れしろ、ということがありました。その方向性の正誤は、図書館は問いません。が、しかし、その方向性の本ばかりがある、というのはバランスを欠きます。かといって、それに対応する本を買うと、今度は全体の蔵書が政治(社会科学)に傾き、他のジャンル、例えば料理などの実用書を圧迫してしまいます。それだけ図書館の資料費っていうのは少ない。グチは言うまい、と思っても、グチが・・・。資料費が少ない上に、今後、図書館そのものの存続が危ぶまれているのでね。

予算が少ないから本がほしい、とはいえ、寄贈された本、というのはイコール図書館が必要としている本ではない。むしろ蔵書として受け入れる手間暇、そして書架のスペースを考慮すると、いっそありがた迷惑、というケースも少なくない。それが実情。また寄贈された方に、その本は不特定多数の方に利用されるのだ、という認識が欠けているのか、書き込みや汚れ(ひどいのは本の天の部分に厚く埃が積もり、少々のことではとれなかった)のある本を持ってこられるることがあります。これらの本を見ると、悲しいというか情けないというか。

あたしが図書館から離れていた間、自分が寄贈する場合、内容が古かったり、汚れていたりする本は出さないように気をつけていました。ジャンルとしては、図書館では買わない、けど、あれば利用が見込まれるマンガを中心にしていました。自分は、図書館の職員ではない以上、本当にそれが必要とされるのか、収書方針にあっているのかわからないので、不要であれば処分してかまわない、という言葉を添えて。(でも読まれる自信はありましたけどね)

本日のお品書き=彼岸市

Ohigan

あたしの地元では春分、秋分の日の年2回、江戸時代から市場が開かれたのを起源とするお祭りがあります。写真は歩行者天国になった駅通りの様子。日ごろの閑散としている道が嘘のようににぎわっています。子どもの頃は、と~っても楽しみだったな。だって、このときは、自分のお小遣いでリンゴ飴買ったりできたからねぇ。コンビニでお菓子とか買って、図書館の飲食できるコーナーでムシャムシャ食べてる今頃の小学生たちにはわからないくらい楽しかったと思うな。

Photo_2

もう一枚は、あたしの母が作ってくれたおはぎ。めっちゃ美味そうでしょ。甘いのよ、これが。でも、これがあたしにとってのおはぎ。残念なのは、この作り方を覚えられないあたし。後、サザエごはんとね。お母さん、ありがとお♡

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